| 昭和54年生まれ。
小学生低学年から近視が始まった。初眼鏡を3年生で作ったが眼鏡には物凄く強いコンプレックスを感じていたので、ほとんど使用しなった。席替えは目の悪い人が強制的に教室の前の席へと行くことになっていたがそれが嫌でその時だけ眼鏡を使用してきた。
「眼鏡をかけなさい!姿勢も悪くなるから!」そんな母の声は全く聞かずにいた。今思うと猫背はこの時から熟成されてきたのかもしれない。小学生の時は眼鏡が最大のコンプレックスだったが、高校生ぐらいから眼鏡よりも猫背がコンプレックスに変わった。
しかし5年生の終わり頃から黒板の文字が涙目にしても、細目にしても、指で左右に引っ張ても見えにくくなって授業中だけ眼鏡を使用することになっていった。
中学生時代は部活のとき以外、常に眼鏡で過ごした。やはりコンプレックスだったが、「黒ぶちの大きな眼鏡や真ん丸眼鏡を中学校で流行らしたのは俺だ!」とか「眼鏡をかけていない時がほんとの俺だ!脳ある鷹は爪隠すとはまさしく俺の為の言葉である!」とか真剣に思って眼鏡に対するコンプレックスを紛らわしていた。今ではバカだねーと思うが、もし私と同じような心境の中学生がいても、かけてあげる言葉が見つからない。まだまだである。
部活はサッカー部。練習も試合も裸眼でしていた。見えないなりに頑張ったつもりだったが、もともとの才能か視力が原因かはさておきイマイチな成長だった。
高校から学校では常にソフトコンタクト、家では眼鏡になった。初めてコンタクトを装着した時は、えらく感動したことを鮮明に覚えている。眼鏡と違い全体的に見えるものが小さくならないし、フレームという邪魔なものがなく、目が動く範囲全てを矯正された視力で見ることができた。
手入れは、毎日の擦り洗いと月一の蛋白除去が面倒だったが、眼鏡のレンズはすぐ汚れてしまいレンズ拭きの作業もそれなりに多かったし、コンタクトの自由さが圧倒的に優位だった。
部活は中学から引き続きサッカー部に所属した。高校生になってコンタクトでサッカーできるとなると、かなりうまくなるだろうと期待していたがそうでもなかった。結局うまくなるかはやる気の問題だと今になって思う。守備や戦術に興味を持てなかったのも伸び悩みの原因の一つだろう。小学生のようにシュートをおもいっきり打ち点を取ることだけに興味が集中していた。(今の小学生のサッカーはこんなバカではないが…)
でも、コンタクトなら走ることも飛ぶことも眼鏡をかばうような心配はいらないのにも感動した。グランドの土(砂)の形状が気持ち悪いくらいはっきり見えたし、遠くにあるボールも人もはっきり見えた。
水泳の時もコンタクト装着で望んだ。目に水が入らないようにかなりのゴーグル痕が残るほど念入りにゴーグルのゴムを閉めた。泳いでいる時はずれること無く大丈夫だったが、プールサイドでゴーグルを外した時に水が目に入り一瞬でコンタクトが目の裏側に移動してしまい、焦ったこともあった。しかし裸眼での水泳は方向感覚を失ってしまいそうな気がしてそれが恐かったのでコンタクトを装着し続けた。
大学では、スキーを始めた。スキーって言っても基礎スキーってやつである。まー簡単言うとタイムを競うのでは無く、滑りの美しさを競う言わばフィギヤスケートみたいな競技だ。 入った時から「性に合わねー」と思ってはいたが、競技スキーをするには年間100万かかる聞き断念。もちろん基礎スキーも結構なお金がかかるのだが、スキーをしたかったし基礎スキーに決めた。
このスキーでコンタクトの最大の欠点が目の当たりになった。それは、風でコンタクトがずれることだ。低速の滑走なら全然気にならないのだが、中高速の滑走になると、サングラスを着用しようがゴーグルを着用しようが容赦なく目に風が入ってきてコンタクトを移動させてしまい、滑走どころの騒ぎでは無い。それまで見えていた雪面状況や他の人の位置などが一気に確認できなくなる。そりゃーそーだ、1.5見えていた視力が一瞬で0.05になるし、目の中に強烈な違和感が走るのだから。こうなってしまっては、ボーゲンで暴走する人よりも危ない人になってしまう。ここでも見えない恐ろしさを体験することになる。
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